湯河原惣湯

湯河原惣湯のストーリー

「惣湯」の復活

中世、この土地は武士や村人の湯治場として利用されていました。
江戸時代になると「湯ヶ川原」の地名が登場し「湯河原温泉」と呼ばれるようになります。村人は河原から自然湧出する温泉の共同湯坪を「村湯」「惣湯」と呼び、地域の共同湯として大切に管理しました。
明治時代に入ると、養生の地として湯宿が次々と建てられるようになります。著名な政治家・軍人・文人墨客が多数訪れ、湯河原温泉は多くの文学作品に取り上げられます。

またその泉質は「傷の湯」で知られ、日清・日露戦争の傷病兵の療養地となり、名湯の評判は全国に広まりました。
現在「万葉公園」の名称で知られるこの地は、明治の実業家・大倉孫兵衛の別荘があり、療養中の人々に解放され「養生園」「大倉公園」と呼ばれていました。
かつて村人が地域の共有資産として守り育んできた「惣湯」。その精神と文化を受け継ぎ、地域の人々とともに、湯河原の魅力を感じられる場所に育てていきます。